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ハスミワクチンとの出合い E.S.


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私とハスミワクチンの出合いは、友人がハスミワクチンを打っていた事でした。
その友人は「貴方がガンになってもワクチンがあるから大丈夫よ」と常々言ってましたし、講演会にも1、2度足を運びお話を聞かせていただいていました。
まさか自分がガンになるとは思ってもみませんでした。
そんな矢先、忘れもしません。今から15年前の5月の事、お風呂で乳房にしこりが、一瞬血の気がひきました。
もしかしたらと悪い予感、あくる日かかりつけの内科へ、エコーの検査の結果、先生からすこし気になるとの言葉。その足ですぐ広大病院へ行き詳しい検査をしました。その結果2.8cmの腫瘍が見つかり再検査。細胞針で悪性のガンと診断されました。手術を必要としましたが予約がいっぱいで6月の中頃になると言われ不安になりながら帰宅しました。次の日病院から電話がありキャンセルが出たのですぐ手術をしましょうと言われました。5月の末に手術する事が出来ました。
良い先生に出合い、安心な対応、完璧な手術をしていただき、6月20日無事退院する事が出来ました。
ガンとわかって入院する前にワクチンを作っていただき退院後その足で永山医院へ行きました。ワクチンをすぐ打てる状態にしていただいたおかげで現在に至り15年と半年の月日がたちました。
その間入院中一緒に病気と戦ってきた友人は次々と亡くなっていきました。
今こうして生きていられるのはワクチンが効いているからであり、私にとってはなくてはならないものです。
乳ガンは初期であれば100%ワクチンで治ります。速い対応、ガンになったらすぐワクチンです。まだ死にたくないという気持とワクチンによって命をいただいた事を次の方へと繋げみんなが元気になっていければと心から思っています。
永山先生がいつも言っておられる言葉「ガンになったらすぐワクチンを」その言葉を守り今現在元気に過ごせてる事、先生に感謝です。

東京ICVSにおいてHITVを受けられた西田さんの闘病体験談です。

私は2011年3月胸腺の診断を受けました。胸膜播種が既にあり、大きさは3cmでステージⅣ、手術は出来ませんでした。抗がん剤治療を2回受けましたが白血球が下がり断念、効果は1割に満たない縮小でした。その後体調は戻ったものの2013年7月腫瘍は大きくなっていました。しかしこれ以上抗がん剤はする気はありませんでした。放射線も出来ず、何か良い療法はないかと探していたところ、ハスミワクチンでお世話になっている永山医院でHITV療法を知り、するなら今しかないと決断しました。
初診時蓮見先生に1年後には見えるがんが消えるよう頑張りましょうと言われ、希望がわきました。10月にアフェレーシス、翌年の1月には放射線、樹状細胞の局所注入が開始されました。
13か所を2回に分け1月、2月と実施しました。
その後は月1回の東京へ通院、その間のケアは永山医院で行いました。当初の不安は胸の中央のガンなので治療の副作用が心配でしたが今では飲み込みも問題ありませんし、何より5月のペット検査でがん細胞が死滅していたのです。
まだ、予断はできませんがこの治療法に巡り合えたこと、蓮見先生と永山先生に感謝しています。
これからも宜しくお願いします。

15年前に白血病となり一般療法とハスミワクチンで現在も闘病中の竹迫さんのお話です

平成11年6月初旬に「急性骨髄白血病」と診断され、原爆被曝者(胎内被曝)の私には死を宣告されたようでした。前年の暮れから体調がすぐれず、風邪の症状ではないかと思い近くの開業医で受診しました。それで一時期は体調も持ち直し、翌年の5月の連休明けからまた体調不良になり開業医で受診し、結果は思わしくなく白血球の数字が異常に高いと言われ、近くの総合病院で受診しましたが、即入院し、治療を開始しました。
約40日間の入院をし、退院時の白血球の数は3万台でありましたが、自宅で療養生活はあまり好ましくなく、また数字はあがり、そして余命5年と言われて、悪いことばかり続きました。近所のひとから「ハスミワクチン」を紹介され、8月下旬に永山医院を訪問しました。
永山先生に、がんに対するいろいろな事を教えていただきました。がんとの向き合い方、生活習慣の改善等々・・ハスミワクチンを週2回打ちはじめ、約3か月を過ぎたころに約7千に数字が下がったと先生から連絡あった時は非常にうれしかったです。それからは、毎月の検査で数字は安定しており、週2回のハスミワクチンを注射と、抗がん剤を服用しながら、副作用もなくあっという間に15年間でした。永山先生の教えである、“明日の事は考えるな、寝て起きて目が覚めればその日の事を考える”一日一日を大切にし、その事を肝に銘じて、少々の米作りと野菜を作りながら、愛犬と一緒に田舎暮らしをしています。
健康な方との同等な日常生活(普通の生活)が送れることが幸せであり、これからも、ハスミワクチンを打ち、ストレスのない生活を送りたいものです。
人と人の出会い、繋がりを大切にしながら、これからも「白血病」と闘ってまいりたいと思っています。
最後に 永山先生、“ハスミワクチン” ありがとう

「蓮見ワクチンと父」 E.M.

私の実家の父は、千葉市内に済み彫金と云う仕事に携わり重労働でなく座業の日々でした。
或る時久しぶりに横浜の松賀宅に来ましたが、主人の両親が前立腺癌、胃癌の病名で亡くなった直後で、主人が両親の為に読みあさった医学書、治療書等が部屋に多数残ってありました。父はそれを取り上げて読むうちに蓮見喜一郎先生のワクチン治療に魅せられ、こう云う治療法もあるのですねと感心して居りました。

その後二、三年たち工合が悪く痩せて来たとて千葉医大を受診したところ、S字結腸に腫瘍があるが手術をしますかと云われました。
七十八才位の時で当時は長男夫婦と同居の生活で、少し様子を見ようとの事でしたが、しばらくして父は蓮見ワクチンの事を思い出し、この治療を受けたいがどうかと私に相談して来ました。私が受けたみた方が良いのでは、と答えると父はその気になり長男に阿佐ヶ谷の珠光会に行って来ると切り出したのです。ところが長男は千葉から通うのか、医師会からよく云われて無いのにと大反対でした。

父はその時八十才になって居りましたが、それでも行く、と云い珠光会の診察を受け、ワクチン治療を始めたのです。普通ワクチンから自家ワクチンになり、五日毎の注射は家庭医にお願いし、半年毎に喜一郎先生の御指示を頂きました。すると腸の具合は少しずつ快方に向い結局手術は必要なしとの結果が得られました。

九十才を越えても冬は寒風の中を、夏は暑中を千葉から阿佐ヶ谷に通い、一生懸命自らの命をワクチンで守りました。父は百才になる寸前に老衰で亡くなりましたが、自ら信じた治療とそして蓮見先生の御指導が有りましたから、心残りなく旅立てたことと存じます。

「早期の判断で経過は良好です」 K.O.

2010年2月某日、尿に血が混じっていることに気づき、永山先生へ相談に伺いました。
永山先生とは、すぎな会の講演会のお手伝いに参加したことがきっかけで、以前から面識がありました。講演会に参加するうちに、がんに関する知識が増え、その恐ろしさが常に頭の片隅にあったことが相談に伺ったきっかけでもあります。

永山先生に診て頂いたところ、「前立腺がんの疑いがあるため検査を行いましょう」ということで、すぐに検査をして頂きました。検査の結果は陽性の可能性が高いとのことでした。

今の時期からハスミワクチンを打ちながら治療に取り組みましょうというお話を聞き、その日は手続きだけを済ませ帰宅しました。

後日、より精密な検査を行うため、市内の病院を受診しました。
診断結果は、膀胱がん。目の前が真っ暗になりました。
ただそうしている間にもがんは進行します。一時の猶予もありません。

その後再度、永山医院を訪れ、ワクチンの接種を開始するとともに、市内の病院に入院をしました。
病院では抗がん剤も投与しましたが、その痛みから身体の自由が奪われ、二度と打ちたくはないという想いでした。
そこで、永山医院で新たに「NK細胞療法」を併用しながら治療を進めていくことを決断しました。
結局、病院の医師からの勧めもあり、膀胱前立腺の全摘出手術を受けることになり、その後無事退院することができました。
後日判明したことですが、手術を行う直前の段階で行っていた検査では、がん細胞の存在が確認されなかったとのことでした。全摘出までは必要なかったのではとも思いましたが、今では抗がん剤に苦しんでいた姿からは考えられないほど、自分も家族もびっくりするほど体調は回復しています。
経過は極めて良好です。

「終生の友 蓮見ワクチン」 N.M.

昭和四十九年は私達一家に取り大変ショッキングな年でした。父(八十四歳 前立腺ガン)、母(七十九歳 胃ガンの肝臓転移)、両親を半年の内に相次いで亡くしてしまったのです。

「ガン」と云う病気に対する知識不足に依る手遅れが原因であったと悟った私は手当り次第に市販されて居た医学書を読み漁りました。
乱読と云うべきでしょうが、かれこれ五十冊位読んだ頃からおぼろげながら「ガン」と云う病気の輪郭が理解出来る様になりました。

当時の医学の常識では、早期に発見し転移のない内に処理することが唯一助かる方法で転移の始った手遅れの場合は良い結果は期待出来ない、と云うことでした。

ところが未だ厚生省や医学界で正式に認められて居ない免疫治療と云う方法で既に実績を挙げて居る、東京阿佐ヶ谷に「珠光会」と云う病院があることが私の興味を強く引きました。その頃の私は繁雑な手続きに依る土地の相続も終り、相続税の分納を納め始めて居ました。昭和五十一年頃だったでしょうか、胃に何か異常を感じ始める様になったのです。

行きつけの病院で胃カメラ迄使った診断では、胃の内側の粘膜が異常に厚くなって居る「肥厚性胃炎」と診断され飲み薬を処方されました。然し半年飲み続けても胃の重苦しさは少しも改善されません。乱読した医書の中に肥厚性胃炎は「胃ガン」に進行する率が高いと云う記事を思い出しました。そこで阿佐ヶ谷の蓮見博士の主催する「珠光会」を尋ねる決心をしました。

事前に人を介して受診要領を勉強して置きましたので、前日より阿佐ヶ谷駅近くの旅館に一泊し、冬の朝未だ暗い内に門前の行列に加わり八番の受診番号札をもらい、長い待ち時間を患者待合室で待つことになりました。 朝の行列に加わらなかった人達が次第に増え座る椅子が足りなくて階段のステップを、椅子代りに診察を待つ有様でした。 蓮見博士の診察前にレントゲン撮影と血液検査の採血があり、先生の診察は私の胃と腹部を触診するのみで口答少なく次週の再診日に結果を知らせる由にて当日は終りました。

待ち遠しい様な不安な一週間後の再診日、時間通りに「珠光会」に着いて見ると、今度は私が階段のステップを椅子代りに待つ事になったのでした。然し今度の待ち時間は先輩再診患者達の騒々しい話に聞き耳を立てて居るだけで少しも退屈することはありません。夫々の話題は患者達の経験して来た情報を話し合って夫々の知識吸収し合って居るのでした。

名前を呼ばれ我に返り診察室へ入ると、迎えてくれた白衣の先生は蓮見先生ではなく、医学を卒業した感じの老先生でした。レントゲンフィルムと採血表を指示しながら「貴方のガンは胃の粘膜の裏側に発生して居り、幽門部に転移もあるが、この程度であれば『ワクチンK』を二年も続ければ消えると思います。患者心得書を良く読んでそれに従って下さい。注射に関しては地方の方々には夫々協力医院に紹介状を書きますので申し出て下さい。」と告げられたのです。

心の何処かで「ガン」を否定されることを望んで居た筈の私には、この様な「ガン」と云う言葉を次々と使った診断に何か納得させられたのでした。

指定された胃ガンワクチン「K」を五日毎に続けて二年。私の頭の中から胃袋の存在が消える様になりました。然し先生は「未だ胃の皺(しわ)が少い、赤血球の数が足りない」とワクチンを止めることを許可してくれません。

待合室で先輩患者達の話の中で、自己判断で勝手にワクチン注射を止めた人達は再発した場合蓮見ワクチンを信じ切れず、再度近代医学のガン治療に戻っても新たに出て来る抗ガン剤の使用で「ガン」は消えたが生命も消えたと云うことも考えて見るべきでしょう。

先輩諸氏の話を否定する根拠もなく又敢えて「ワクチン中止」を申し出る勇気もなく再発を防ぐ意味も兼ねて今日を迎えました。

免疫療法のカリスマ的存在であった蓮見喜一郎博士の後を継がれて「珠光会」を引率される御長男賢一郎先生の発声の第一は「見付かった『ガン』を先ず手術で取ってから蓮見ワクチンを再発防止に使いなさい。」と云うもので私達の心から納得出来るものでした。

米国医学界に長く留学して、良い治療を受ける為には金がかかる事はやむを得ないと云う考え方に発して病院建物設備を近代病院に改築し階段ステップを椅子代りに使う二流国医療を一掃しました。研究所に於いても様々なワクチンを開発して進んだ日本の近代医学と併用に依る高い効果と発表して居られる様です。

現在私は前立腺ガン対策としてPr+スーパーアジバンドを組合せたワクチンと化学療法として女性ホルモン「オダイン」を併用することで九十歳の生活を楽しませて頂いて居ります。

「今日を生きる」 E.M.

私は昭和三十三年に産後の輸血を受けた事が原因と思われますが、平成三年頃になってからGOT値が100位がしばらく続き、家庭医の紹介で横浜警友病院の内科の治療を受けました。

患者が多く受診するのに朝早く出かけ、二時間位待たされるのですが、二年位通ってGOT値が70から90値の間になり八王子の漢方専門医に移りました。
ところが煎じ薬の反応でしょうが、掌の甲が黒くなり、煎じ薬が合わないのではと思い通院を止めました。

その後は近くの病院と医院に通いながら強力ミノファゲンの注射を受けて居りました。
その頃に主人が蓮見ワクチン治療を始めて居り、数年たった頃、年月ははっきり覚えて居りませんが、私にもと勧められました。

珠光会を受診しますとC型肝炎で肝硬炎であるとつげられ自家ワクHCの治療をうけることになりました。
それからおよそ十二、三年間。自家ワクチンと強力ミノファゲンを続けて八十六才と云う命を守られて居ります。
ワクチンと家族に感謝の日々を送って居ります。

「先生、看護師さん、「すぎな会」の皆さんとの出会いは、一生の宝です。」 M.Y.

前略 先日は、立派なお花を有難うございました。
お部屋が明るくなりました。
毎日、至れり尽くせりで快適な生活を送っています。(不思議と今だに痛みがこないです)
心臓と肺に、水がたまっているので、せきとたんが出ます。
ワクチンもしてもらっています。先生のお言葉でできるようになりました。有難うございました。

「すぎな会」に入り、皆さんと仲良しになり友達も出来て、本当によかったと思います。
忘年会、新年会、お花見、紅葉狩りと色々と参加させていただき、思い出を沢山作り楽しい人生を歩む事が出来ました。

先生、看護師さん、「すぎな会」の皆さんとの出会いは、一生の宝です。
平成8年から始まり、現在に至り17年間色々とお世話になり有難うございました。今まで、乳ガン患者と比べて何倍も長生きしてきました。近所の人が私を見て不思議がっていました。

先生も大病され御快復されました事を、心よりお喜び申し上げます。
私の気持ちとして、最後の贈り物になるかと思います。カキをお送りしますので召し上がってください。
生きている限りがんばります。
このご恩は、亡くなってからもいき続けると思います。
皆さんに、お世話になりましたので「有りがとう」と、お伝えください。

追伸・・・1/29より、痛みが徐々に出てきました。

M.Y.様のご家族の方より

母が、生前大変お世話になりまして有り難うございました。
ある方の御縁にて、素晴らしい出会いがあり最後の最後まで愚痴も弱音も言わず、最後まで前向きで、自分の命と向き合い、頑張ることができたのも先生との出会いのおかげだと思っています。
大病生活でしたが、割と普通に生活できていたように思います。
いつも、にこにこして、色んな事を教えてくれて、病院に入るギリギリまで、動く事ができていました。また最初頃には、痛みもなく母も不思議がっていました。
いろいろと整理しましたら先生への手紙の下書きが、出てきましたので、パソコンで書き直させて頂きました。生前に御前前かき祭りの日、永山先生へカキを送ってほしいと頼まれていたのですが、カキ祭りが17日で、その日がくる前に永眠しましたので、手紙の存在に気付かずでした。
「すぎな会」の皆様とも仲よくさせて頂いていた様子で、よい思い出ができたと感謝しています。有難うございました。
永山先生、看護師さん、すぎな会のみなさんに、出会えた母は幸せでした。
母と同様、このご恩は忘れません。本当に有難うございました。

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